庭を楽しむ

満月のような照明。日没から夜が深まる頃まで、庭の表情を楽しむ

一度更地にし、庭を新しく。

3月末から4月末にかけて、前庭のリフォームを行った。庭をリセットしての作庭工事は、カワムラガーデンさんに依頼した。10年前の新築時に植えた樹々、自分で植えた草花たちを丁寧に根ほりしていただき、一度更地にしたうえで、新たな庭が誕生した。この庭の詳細については私のラジオ「ことのはカフェ」での収録「#55庭って素晴らしい!」を聞いていただけると嬉しい。地元産「秋保石」を使うことで秋保石文化の継承を担う庭師・川村さんならではの秋保石石積花壇はアート作品のようである。前の庭から引き継いだ鳥海石を山脈のごとく配置しての植栽も「心の奥底では望んでいたが、自分では到底イメージできなかった景色」が目の前に現れ、感動した。

室内からの眺め。鳥海石の山脈に向けてウッドデッキ、枕木、秋保石と異なる素材がつなぐ一本の道が。

暮らしを変えた庭

 庭が完成し、最も変わったのは「カーテンを開放する」ことだった。前庭はダイニングとウッドデッキで繋がっている。ここには実はこだわりのストーリーがある。結婚して間もなく、夫の海外派遣が縁で私もステイさせていただいたニュージーランドのホストファミリー宅では、リビングの大窓を開放するとそのまま広い前庭に繋がっていて、前庭と行き来したり、庭を眺めながらの食事やコーヒータイムを楽しんでいた。庭を前にリラックスする生活空間・生活スタイルに憧れ、庭に面したダイニングには大きなドレーキップの窓を設けたものの、これまで開ける機会は少なく、レースのカーテンを開けることもなかった。意識してのクローズ状態ではなかったが、庭を新しくした今となって理由が浮かび上がる。道路側からの視線を遮ってくれるフェンスができたこと、そして何よりも「そこに眺めていたい庭があるから」である。

休日は窓を開放して食事を楽しむように。家を建てて10年目にして理想が現実に。

夜の庭を照らすあかり

仕事をしている我々が明るい庭を楽しめるのは朝食時と休日である。考えてみると、家にいる時間の多くは暗い時間帯。庭に照明を…と望むようになるのは時間の問題であった。庭師の川村さんが提案してくださったのは満月のような丸い照明。ほんわりと周囲を照らす、まさに満月のような明かりで、和の香りがする鳥海石の山脈とも相性が良い。一方で、この照明の出身地がイタリアであることに驚いた。

庭のなかに月が浮かんでいるような照明。アートな石積花壇が生み出す陰翳もきれい。

 今では夜もカーテンを開けて庭を眺めながら夕食をとっている。部屋の照明もほぼ間接照明だけだ。薄明りのなかで食べる夕飯は趣がある。仕事や日々のタスクは変わらないのに、何だか最近気持ちが安らかなのは照明効果かもしれない。照明デザイナー石井幹子氏の『新・陰翳礼讃』には「美しいあかりの中で暮らすには、家のあかりを消してみる」ことが提案されている。生き物としての人間は昼は昼らしく明るいところで過ごし、夜は夜らしく本当は暗みに順応したいと身体が欲している、自然のリズムに寄り添った明るさを実現することで安らぎが得られる、という提案である。石井氏の言葉を引用すると「ほの暗いときのほうが、味覚も聴覚も敏感になる。それだけではない。物の形も陰翳のグラデーションが増幅されて立体感がより強調される。こういう空間の中に、鮮やかな盛り花や色彩豊かな壁の絵を見せるために、多少の光をそれぞれに当てていくと、心地よい空間になっていく。」(166ページ)とあるが、実感として納得した部分である。短時間でささっと準備をした夕食が美味しく感じられ、家族の会話が弾むのもこれまた照明効果なのかもしれない。何より、心安らかである。古来、地球に住む人間にとっての天然の夜の明かりは月の光だ。洋の東西を問わず、月あかりは夜の照明の理想形なのかもしれない。庭に設置したイタリア出身の照明が満月を思わせるのも納得だ。身近なあかり、理想のあかりについて考えるきっかけとなった一冊であった。

石井幹子氏の『新・陰翳礼讃』についてはラジオ「ことのはカフェ」でちょっと詳しくご紹介、語った収録をどうぞ。

『新・陰翳礼讃』(2008 石井幹子)より。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』との関係も興味深い一冊。

 かくして、庭を楽しむ日々を過ごしている。庭に出て草花の手入れをしたくて、朝早く身支度をするようになり、帰りは可能な限り明るいうちに帰れるように仕事の算段をするようになった。庭の草花についてはまた次の機会に綴ってみたい。

作庭3か月、真夏の庭。右側の亜鉛プランターの植栽も緑濃く。